外国人に日本語を教えてはいけない

多くの日本人は、外国人に日本人を教えるリスクについて考えた事があるだろうか?私はひどい体験を経て睡眠障害も起こして大きな代償を背負った。もちろん、「外国人」という主語は非常に大きく、差別的にひとまとめに語るつもりはない。私が体験したトラウマを詳細に記し日本語を教えるリスクについて少しでも考える人が増えれば幸いだ。

結論として何が起きたか

Fu** you (くたばれ) だとか、死ねだとか、お前のせいで俺の日本語はグチャグチャだ、どう責任を取るんだ、お前の友達も巻き込んでやる、喉詰まらせて死ねばいいのに。

このようなメッセージを毎晩受け取るようになった。さっぱりブロックしたいものの、この人はかなりの財力と影響力を持った結果、他の友達の人生も掛かっており、そう簡単にブロックして終わりでは済まない。そんな日々が1ヶ月ほど続いただろうか。

トラウマは強く植え付けられ、安心して眠ることも出来なくなってしまった。

思い起こすのもなかなかに辛い体験であったため、少しづつ記事を拡張していきたい。

私が体験した事を事実ベースで詳細化しないと「外国人」は悪という大きな主語で差別的な表現になってはしまうのだが、そのような意図はなく、あくまでも事実・リスクについて述べていきたい。

このようなメッセージが毎晩届いて、ブロックしようにも別の友達に危害が加わる。こういった私が体験した事を事実ベースで語っていきたい。

文化の違いと、自由の国アメリカ

日本では相手を傷つける発言は原則として許容されない。ヘイトスピーチ規制法まであるくらいだ。しかし、海外に目を向けてみると私たちが常識だと思っている事がくだらない事に囚われていると考えいる国もある。

その一つは自由の国、アメリカ合衆国だ。

元々、アメリカ合衆国はイギリスの植民地であった。理不尽な扱いに耐えられず戦争で自由を勝ち取った国だけあり、独立後のアメリカ憲法には「国民に武装する権利」があり、再度理不尽な扱いを受けたら撃ち殺してもいいし、政府が暴走したら武装した市民が武力で鎮圧しても良い。それがアメリカ合衆国の自由なのだ。

自由は尊いものであり、ヘイトスピーチであろうが、個人に対する攻撃であろうが、ありとあらゆるものへ優越する。これが根元にある。I’m going to kill you.(あなたを殺害する)くらいまで言うと別の理由で警察がくるのだが、根元にある文化を理解する事は重要だ。

特にアメリカでのインターネット上ではカジュアルにFu** you.(くたばれ).You should kill your self.(お前さ、自殺した方がいいよ?)という言葉が飛び交っており、さらに殆どの人が問題だとも思わず、実名名指しで死ねといっても、ネット上でしょ?それは言論の自由だよ。という意見が普通だと言うのだ。

もちろん、日本にもそう言う部分はあるが、「昨日、生意気な⚪︎⚪︎人に、あんたくたばった方がいいよ?って詰めてやったぜ!」そんな事を現実世界でも功績のように語る奴がいるだろうか…?

もちろん日本人にもいろいろいるし、0とも言わない。しかし、日本の常識・文化として明らかに許容できず信用を失い白い目で見られるのは明らかであろう。

しかし、ここに文化の違いという大きなファクターが見えてくる。アメリカ合衆国では特に問題がないのだ。

リスクについて

繰り返すが外国人はみんなこうだ、とひとまとめに語る気は一切ない。問題なのは文化の違いに対する理解度である。もちろん文化が違っていても相手を傷つける発言はよくないよねと考える人もいる。

一見矛盾するようだが、アメリカに短期留学に行った人からすると、アメリカにいる人は親切な人が多いと言うのだ。しかし、こうも語る。優しくフレンドリーに振る舞わないと銃殺事件が起こる可能性がある。だからみんな優しいのだと。

言論の自由、武装する自由、それにうち負かせた方が正義。これらはアメリカが独立したときから文化として残っている。文化の違いはリスクとして知っておいた方がいいだろう。

日本語を何故教えてはいけないのか

海外では励ましてくれた人より、何かしてくれた人の方が優しいと考える文化圏もある。端的に言えば全てを失い呆然としている人に対して、感情に寄り添ってあげるのはただの時間の無駄で、投げ銭してくれた方がいいと言う文化だ。

ちょっと短くしすぎただろうか。ただ、そう言う考えもあると言う事は知っておいて損はないだろう。

さて、日本語を教える時に「頑張れば出来る!さぁ喋ってみよう」と「眠るが欲しい…じゃない、日本語では眠たいと言うんだボケ」どちらの教え方が喜ばれるだろうか。

答えは後者である。実際に複数の日本語学習者は、日本人は多くを教えないと不満に思っていると告げられ、失礼じゃないからどんどん間違いは直してくれ、ちげえよボケくらい言ってくれないとサーカズム(日常でのカジュアルな皮肉)すら入ってなくて寂しいよ。

そんな事を真面目に面と向かって言われるのだ。嘘だと思ったら英語でも言語はなんでもいいから勉強して是非vrchatやdiscordに飛び込んで欲しい。もちろんどの文化圏から来たかにもよるが多くの日本語学習者は心の底ではこう思っているのだ。(ある程度日本文化を尊敬していて日本語を学んでいる場合はそうは言わないケースも多いのだが本音を探り当てると大体これが心の奥底にある)

日本語を教えられないとどうなるか

さて、日本語を教えられないとどうなるか。私は言語学習においてインプットの場とアウトプットの場は別であり、友達と話すのはアウトプットの場だと思っている。

しかし、「優しさ」について考えると、そんな事は彼らには関係ない。日本語を教えられなければどうなるか。少しずつ彼らは貴重な時間を搾取され、理不尽な扱いを受けていると感じ始めるのだ。そして最後は銃を持って立ち上がる。独立戦争だ。

言葉の銃ならばいくら撃っても合法であり文化はそれを支持する。かつ、アメリカ本土では自分の身は自分で守る文化がある。だからリベラルな人が増えようと家に置く銃が売れ続ける。私は日本に住んでいるので精神的な被害ですんだが、アメリカ本土であれば頭を撃ち抜かれていただろう。

実際にこの人は自分に害をもたらした奴には何をしても構わないと思っていると明言しているし、別のアメリカ人は裁判の結論が出るまではinnocent(無実)であり自由が優先だとも語っていた。論理より正義、逮捕を恐れる事より武力を持って押し通す。銃を隠し持つ権利だってあり、法律上もCCLライセンスがあれば合法だ。

あなたがプロの日本語教師なら是非、日本語を教えてあげて欲しい。しかし、日本語の文法を体系的に学び直し教える技術まで磨いた事がなければ、「日本語を教えてはいけない」。頭を撃ち抜かれる覚悟がなければ、やめておいた方が賢明だ。

アメリカ合衆国に感じる事

アメリカ合衆国に関していろいろと述べたが、基本的に私はアメリカが好きだ。自由は最先端のテクノロジーを産み、iPhoneやWindowsという最新鋭の文明機器の恩恵を受け、職場ではciscoやjuniperという強力なネットワーク機器を使って商売をしている。

そして、私の好きなVRChatとdiscordは紛れもなくアメリカで開発し提供しているサービスだ。

これを読める人は日本の文化がわかる人、つまりはアメリカの文化とは遠い位置にある人。ずいぶんとアメリカを否定的に思ったならば、それこそ文化の違いが理解できていないだけである。

自由なくしてITイノベーションは起こり得るのか。武力の話をしたが、日本がどの国に防衛されているのか。うち負かせた方が正義、その考え無くして軍隊を動かせるのか。綺麗事だけで平和が守れるのか。それに、言論の自由がない国は本当にいいものなのか。

どの文化のおかげで日本人が豊かに暮らせるのか。私は利口ではないが、それを知らないほど愚かではない。

最後に

まだ心の傷跡が痛み、そう簡単には書き記す事はできない。この記事は都度アップデートしていくつもりだ。

私個人に起きた事を、事実ベースで、文化のギャップの問題として、記載したいしそうしているつもりだ。もし、私の表現能力が拙く違和感があっても、差別的な意図ではないという事は明言したい。私は、差別的表現・ヘイトスピーチは嫌いだししたくもない。そもそも日本国内では許されていない。

それでも、文化の違いというものは大きく、舐めてかかっていいものではない。それを伝えたいのだ。